1948-05-24 第2回国会 参議院 治安及び地方制度委員会 第16号
そこでまあ暴行脅迫によりまして、先ず知事が閉鎖命令の取消をし、それから市長が學校明渡しの、校舎明渡しの取消をし、ついで檢事正が迫まられまして釋放をするという誓書、一書を取られたのであります。そこでの市丸君のそのときの心境は、もう放そうじやないか、檢束したものを一旦釋放しようじやないかということに大體檢察廳の方でも考えておつた。で、檢事一同も大體それに贊成だつた。
そこでまあ暴行脅迫によりまして、先ず知事が閉鎖命令の取消をし、それから市長が學校明渡しの、校舎明渡しの取消をし、ついで檢事正が迫まられまして釋放をするという誓書、一書を取られたのであります。そこでの市丸君のそのときの心境は、もう放そうじやないか、檢束したものを一旦釋放しようじやないかということに大體檢察廳の方でも考えておつた。で、檢事一同も大體それに贊成だつた。
さらに三月下旬、関係市町村においては、各管内の校舎明渡しを要求し、嚴重警告を発せしめたのでありますけれども、朝鮮人側はこれに應じなかつた。四月十二日、朝鮮人学校十九校に対して、四月十五日限り閉鎖すべき旨の通逹をさらに発送したのであります。
なおまた神戸におきましては、去る十日に、学校閉鎖命令に端を発しまして、これに應じないところの朝鮮人の人々が、團体あるいは職員の父兄らを先頭に立てまして、校舎明渡し絶対反対、日本側学校轉学拒否等を決議いたしまして、兵庫縣廳に押しかけまして、兵庫縣知事に対して面会を要求してまいつたのであります。